悩みと苦しみ、そして受容へ~豊かな老いへのプロセス〜【看取りの報告書・BLさまのこと】
かわべクリニックでは、患者さまが最期の時間を過ごされたご様子を「看取りの報告書」としてまとめています。
これまでお見送りをした患者さまの「看取りの報告書」を、担当看護師の思い出とともにご紹介したいと思います。
いつもお世話になっております。ご紹介いただきましたBLさまについてご報告させていただきます。
長くお一人での生活を送られていたため、訪問診療の必要性を理解いただくまでにやや時間を要しました。しかし体調の悪化にともない独居生活が困難になり、東大阪市内の介護付き有料老人ホームに入居されました。
入居と同時に、定期的な訪問診療と訪問看護師の介入を開始しました。慣れない集団生活にBL様は、戸惑いがあったようですが、徐々に施設職員のことを理解されていかれたようです。私たちも信頼関係を築くことにつとめ、施設間で共有された情報を介護者と医療者で活用しながら、症状のコントロールに努めました。
老人ホームから貴院までの通院サポートをされていたBLさまの姪御さんも、最期までご本人の要望に応えようと、衣類や食ベ物の買い出しを定期的に引き受けてくださいました。BLさまの生活に不自由を感じさせないサポートだったと思います。
しかし入居後2か月ほどでがん性の疼痛が出現し、翌月には呼吸困難を訴えることが増えていきました。だんだん体力が衰え、日中をベッドで過ごすことが長くなりました。それでも最期まで自分の希望をはっきりと伝えたBLさまは、ご家族、施設職員、訪問看護師が見守る中で安らかに永眠されました。
身体が自分の意思に従わなくなりつつも、「ご本人らしさ」を保ちながら看取りが行えたことを誇りに思います。
この度はご紹介ありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
初診でご自宅を訪れたとき、出迎えてくれたBLさまは明らかに緊張されていました。初回診察時にご家族の同席者もいないことから、これまでひとりで切り盛りしてきた彼女の自立心を感じました。
診察が始まった直後に、BLさんは言葉を切り出しました。
「先生、私は82歳の時に肺がんと診断されました。歳も取っているし、手術や治療は受けずにきたんです。もう月単位の命だと思っています。亡くなるときも私はここにいたいんです。老人ホームなんて、ただ死ぬために行く場所ですよね。これまで何でも自分でやってきたから、他人の助けなんて必要ないんですよ。あと2年ほどは、生きるお金はあるんです。それにしても、訪問診療の費用、高いですよね。外来だって行けます、タクシーを使えばいいんですから。」
慎重であると同時に、「訪問診療」という未知のものへの警戒心が強く感じられました。
「これまで自分のことは自分でやってきた」というプライドを尊重したいものの、医療者としてはもどかしくもあります。他人の力を頼ってでも自分の希望をかなえたいか、それとも他人に委ねるくらいなら不自由なほうがよいか。これはその方の価値観によって判断が異なるからです。
「痛みを和らげてほしい」「体力が衰えてもできることを楽しみたい」など、ご本人の願いがあればできるサポートがあるのに。ケアを必要としない、放っておいてほしいとおっしゃる方に、こちらから押し付けることはしません。
こうした方と出会うと「ケアが必要だ」と説得にかかったり、「言うことを聞かない患者さんだ」とレッテルを貼ったりする行為もまた医療者のエゴだと、私は考えます。
ご自身がケアを求めてこられるのを待つしかないのです。
高齢になり、病気を患い、ご自身の「最期」の輪郭がはっきりしてきたとき「どのように幸せを見つけるか」を考えてみます。
平均寿命が60~70歳代のころは、長く生きること、つまり長寿が人生の成功であり、幸せと考えられてきました。しかし高齢化が進むにつれ、人生の長さだけでなく「その質もよいものでなければ幸せとはいえない」というサクセスフル・エイジングの考え方が支持を得るようになりました。1)
「老いや疾患を受け入れる」などと言葉にするほど、人の気持ちは簡単には変わりません。気持ちに変化が起こるのは、病状の悪化を自覚したとき、転倒やベッドからの転落のようにアクシデントが起きたときなどが多いように思われます。
このとき初めて、周りから言われていた「ケアの必要性」に気づき、認める傾向にあります。最初はこちらの存在を警戒していたはずの方も、ご自分で受け入れるプロセスを経たことで、急に心を開いてくれるケースも珍しくありません。「先生、早くこうして欲しかった」と拝むように言われることもあります。
率直に言えば、こちらも「もっと早く受け入れてほしかった…」と思う気持ちはあるものの、早期から無理に促すことはできません。これが私たち支える側のもどかしさですが、一方で高齢者の幸せを理解しようとつとめなくてはなりません。
「老年期に至った人は、自分の人生を振り返り、自分が果たして価値ある存在であったのかと考えるとき…人生をやり直すには残された時間が余りにも少ないという感情に襲われる、これは エリクソンの老年の危機である2)」
「自分はどういう人間で、どういうふうに生きて、それにどういう意味があったのか。それを発見して死ぬ3)」
とあるように、生きてきた時間を振り返ったときの楽しい思い出よりも意味や価値といった根源的な問いに捉われる傾向は、老年期に多く見られます。実際、私たちはスピリチュアルな苦しみに耳を傾ける場面も多く、高齢者が人生の終わりに向かう過程で感じる複雑な感情を日常的に共有しています。
「幸せの形」や「生きがい」は、個々の患者さんの価値観によって異なります。お一人、おひとりが独自の価値観、生活歴、文化的背景に影響を受け、多様性を持っているのは当然のことです。かつて病院で患者さんと関わっていた時と比べて、在宅訪問診療を通じて自宅に伺い接すると、高齢者のリアルな姿をより近くで目にすることができます。
自分の肉体的・精神的な痛みや苦しみ、不自由さや衰えを素直に受け入れることは、大変難しいことです。人が豊かに生ききるために、治療以上にケアが必要であり、最後までその人らしさを保つこと。周囲が生活に目を配るとともに、本人が希望、または納得する生活が送れるように支えること。その方の人生に寄り添い、穏やかな最期を迎えられるように支援することが大切だと考えます。
繰り返しになりますが、自らの老いを受容するのは簡単ではありません。このとき、他人との比較が1つのキーワードになるのではないでしょうか。つまり自分の些細な変化には気づきにくいもの。だからケガをしたり、激しい苦しみを感じたりするまで、衰えを自覚できない。
一方で人との繋がり、関わりの中で、例えば「子や孫と比べて、私も歳をとったな」と実感するなど、老いに気付く、または気付かされるプロセスがサクセスフル・エイジングには重要なように思います。
家族同士に限らず、あらゆる人が地域と繋がっていることの重要性をこんな場面でも改めて感じました。
1)北川公子:第 3 章老年看護のなりたち,系 統看護学講座 専門分野Ⅱ 老年看護学(第 9 版).医学書院,東京,2018,pp.79-83.(注釈引用)https://www.tyojyu.or.jp/net/kenkou-tyoju/tyojyu-shakai/successful.html
2)佐藤眞一,谷口幸一,大川一郎:老いとこ ころのケア-老年行動科学入門-(初版). ミネルヴァ書房,京都,2010,pp.125-129.
3)曽野綾子:老いの才覚(初版).KK ベスト セラーズ,東京,2013,pp.110,164
【今週の東大阪プロジェクト】
東大阪プロジェクトの活動の一部をご紹介させていただきます
>ぜひご参加ください<<
「縁起でもない話をしよう会@東大阪プロジェクト」
今回はHANAZONO EXPOにてリアルで開催!
https://bit.ly/45FlNlf
一緒に縁起でもない話をしませんか?!
皆さんのご参加をお待ちしております。
【日程・申し込み】
「縁起でもない話をしよう会・東大阪プロジェクト」
令和5年11月3日(祝)
第1回 11/3 10:30~11:30
https://88auto.biz/higashiosaka/registp/entryform46.htm
第2回 11/3 13:00~14:00
https://88auto.biz/higashiosaka/registp/entryform47.htm
第3回 11/3 14:30~15:30
https://88auto.biz/higashiosaka/registp/entryform48.htm
定員:各回 30名
場所:東大阪市民美術センター2階第3展示室(HANAZONO EXPO会場内)
対象:どなたさまでも
参加:無料
講師:山本直美さん(緩和ケア認定看護師)
ぜひ、お気軽にご参加ください!
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