「苦しい」と「苦しそう」は違う
こんにちは。看護師の川邉綾香です。
同じものを見ていても違う景色に見えるのは、見てる人の主観が入って来るから。
ある映画を観て、面白かった、感動した、あまり理解できなかった、リアルだったなど色々な感想が出てくるのも、その見た人の価値観、主観的評価です。
この絵を見たことはありますか?
「錯視」と呼ばれる絵です。
これは何に見えますか?
私は水面から顔をだす鳥に見えます。
でも見方を変えると、右を向くうさぎにも見える。
同じ図形でも、捉え方を変えると見えるものが変わる。
このことは、世の中ありとあらゆるものに共通しているのではないかと思います。
では、人生の最終段階における「苦しみ」について考えてみたいと思います。
苦しみは、本人にしかわかりません。
たとえ苦しそうに見えたとしても、患者さまから「苦しい」と言葉がなく表情が穏やかであれば、「苦しい」のではありません。
「苦しそう」と評価するのは、看ている側の客観的な評価となります。
看護記録では
S)(息苦しいですか?)じっとしているので大丈夫です。
それより、こうやって皆さんが心配して何度も看に来てくれるので安心です。
O)喘鳴あり、呼吸回数26回/分、穏やかな表情で上記を話される。
A/P)肺癌、癌性リンパ管症により喘鳴が出現しているが、臥床時間も長く、動く事がないため呼吸困難には至っておらず。
必要時、オプソを内服するように説明。
看護記録においても、あくまでS)は患者の主観、O)も患者の客観的評価を記載します。
A/P)においては、その看護師の考えを書くところでもあるので看護観が垣間見られますが、そこには出来るだけ観察者の主観を避けることが望ましい、と考えています。
看護記録において、事実は同じでも、私たちの見方が違うと患者さんに影響を与えます。
同じ状態であっても、捉え方を変えると見えるものが変わるのです。
人それぞれ、物事の捉え方、価値観、感性、いろいろな表現方法があります。
そして、個々の看護観からディスカッションを行い、その患者さんに合った最善の選択肢を提案することが求められています。
意見を述べることは大切です。
ただ、その意見の主語を『自分』にしてはいけません。
主語はあくまで『患者さま』です。
患者さまにとってどうなのか?
患者さまが何をどう思って、どう感じているのかを、きちんとキャッチすることが大切です。
私たちはどうしても、気持ちが熱くなって感情移入したり、『自分が不安だから』枠の中に患者さまを入れ込んだりしてしまいがちです。
みんな、患者さま想いなのです。
ただ、その想いのベクトルが違っているだけです。
否定はせず、患者さまの理解者になるべく、話し合いが必要です。
そして、患者さまの声を「聴く」ことが大切なのです。
看護師は、一番患者さんのそばにいて、一番の理解者であると言っても過言ではないからです。
今回のタイトル、『「苦しい」と「苦しそう」は違う』。
一定の基準がない中で、どのような評価を行うのか?
その鍵は「穏やかさ」にあります。
人生の最終段階の方と接する上で、穏やかさを取り戻すとは…。
人は苦しみの中でも支えがあれば、苦しみと感じていたものを穏やかさに変える力があります。
・今は穏やかなのか?
→苦しみをキャッチすることから始まる一歩
・何をすると穏やかになるのか?
→解決できる苦しみは解決する
・視点の向きを変えるのは誰なのか?
→苦しみの中から穏やかさを見つけるための聴ける人になる
これらのことを、常々考えながら今後もケアを行っていきたいと思います。
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