【看取りの報告書】Hさまのこと
クリニックでは、患者さまが最期の時間を過ごされたご様子を「看取りの報告書」をとしてまとめています。
今までかわべクリニックがお見送りをした患者さまの「看取りの報告書」を、担当看護師の思い出と共にご紹介していきたいと思います。
まだ60代半ばだったHさま。ご主人さまは「妻ががんになって、僕より先に逝ってしまうなんて考えられない。」と、なかなか受け入れることができませんでした。
[看取りの報告書]
退院支援課 スタッフの皆様
貴課からご紹介いただいた、H様についてご報告させていただきます。
私どもが介入した当初は、予後1~2カ月とお聞きしていたため、症状緩和を中心にケアを行いました。
今後の治療方針、病院の役割、在宅医の役割、緩和ケアについてご説明し、できる限り自宅での療養を希望されたため、週に4回の訪問診療・看護を実施しました。
その後、胆管炎が再燃したり、肝性脳症を起こすなど、たびたび外来での処置や短期入院でお世話になりましたが、比較的落ち着いた生活を送ることができました。
しかしながら、退院後4ヶ月経過してから病状の進行に伴い、ADLが低下。
排泄において介助を要するようになってきたことにより、主介護者であるご主人さまの疲労が増加なさいました。
A病院緩和ケア科での面談時も「トイレに行けなくなったら入棟したい」との発言をされていました。
その後疼痛の出現により歩行困難となったため、緩和ケア科への入院を希望されたものの、プレペノン持続皮下注開始に伴い疼痛が緩和され穏やかな時間を過ごす事ができるようになり、入院を見送ることになりました。
そして1週間が経過し、ご主人さまに介護疲れがみられるようになりました。
その結果、「最期は病院で」との思いが、ご主人さまだけでなく家族全体として強くなり、A病院緩和ケア科入院となりました。
病院でも、ご主人さまは最期まで食事介助など献身的な介護をされ、入院後12日に永眠されたとご報告をいただきました。
ご主人さまは、「本当は家で看てやりたかった。でも自分自身が潰れそうなので苦渋の選択だった」とおっしゃっていました。
[ケアを振り返って]
Hさまのがんを受け入れたくないと思いながら、それでも懸命に支えようとするご主人さま。
そして病状の進行と共に弱っていくHさまを見て、ご主人さまは
「がん保険の申請しようと思う。
今まで、がんであることを認めたくない気持ちがあり、がん保険の書類を見たくなかった。
でも、やっぱり手続きする決断をした。
がん保険の診断書を提出して、保険をもらうことにした」
それを聞いたHさまはほっとした表情になり、「夫は私の病気を受け止めて、私のいない生活を意識していると思う」とおっしゃいました。
このときHさまご一家には、悲しさではなく穏やかな時間が流れていました。
そして、日々の暮らしに感謝しつつ、残された時間を味わっていらっしゃいました。
徐々に介護を要することが多くなってきたHさまと、熱心に介護するご主人さま。
「夫に迷惑をかけたくないから、動けなくなったら入院する」とおっしゃるHさまでしたが、自宅にいたいという気持ちも本当はあったのだと思います。
それでも緩和ケア病院に入院することになったとき、ご主人さまは「本当は家で看てやりたかった。でも自分自身が潰れそうなので苦渋の選択だった」とおっしゃいました。
このときご主人さまは、奥さまががんであること、本当のお別れが迫っていることを改めてもう一度覚悟をしなければならない状況に、苦しんでいっしゃったように思えました。
そしてお見舞いに来られるHさまのご兄妹から「姉のお世話を夫にさせるのは申し訳ない。もう、入院させてもらっていいですよ。ここまで良く面倒見てくださったから…」と言われて、心が開放されたのではないでしょうか。
主介護者が男性か女性かという問題は、自宅で看取る上で非常に大きく関わってくる、と改めて強く感じました。
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