【看取りの報告書】Aさまのこと
かわべクリニックでは、病院を退院してから在宅医療を受けた患者さまが最期の時間をどのように過ごされたか、その様子を病院看護師にお伝えするために、「看取りの報告書」を作成し、お送りしています。
病院勤務時代、患者さまが退院、転院をされた後にどうしていらっしゃるか、気になっていました。担当の医師に伺うと「いつ頃亡くなられたよ」と教えていただいたり、ご家族が病棟までご挨拶に来てくださり知ることもありました。
医師同士が報告書で連携しているように、看護師同士も連携し、顔の見える関係を築けないかと思い、かわべクリニック開業当初から、病院看護師に宛てて「看取りの報告書」をお送りして、病院看護師も訪問看護師も最期まで患者さんと繋がることが出来るようにと思っています。
今までかわべクリニックがお見送りをした患者さまの「看取りの報告書」を、担当看護師の思い出と共にご紹介していきたいと思います。
[看取りの報告書]
退院支援課 I様
いつもお世話になっております。Aさまについて、ご報告させていただきます。
X年の年末に病院から「病状としては厳しいですが、どうしても自宅で過ごすことを強く希望されているので、往診お願いできますか?」との連絡をいただきました。
そうしてAさまは、暮れも押し迫った12月29日に、ご自宅にお戻りになりました。
私たちも感染を警戒し*、年末年始は毎日ご自宅を訪問いたしました。次第に体調も落ち着き、週1度は病院での採血・診察・輸血での療養を行なってきました。
*急性骨髄性白血病は血液中の正常な白血球の数が減ってしまうため、ちょっとした感染症でも重篤な症状になるリスクが高い病気です。
やはり月に1度の割合で感染を起こしてしまい、その度に入院をしましたが、毎回「病気を治したい。でも、自宅に帰りたい」という強いお気持ちがあったからこそ、何度も危機を乗り越えていたように思います。
最後の退院となったX+1年6月以降は、内服による感染コントロールを行ない、輸血は自宅より程近い病院に依頼して療養を行なっていました。
しかし、徐々に病状の進行と共に倦怠感やむくみ、食欲低下が出現。少しでも人に迷惑をかけず生きたいという意志の強かったAさまは、ご自身の病状をなかなか受け入れることはできませんでした。
「なんで、なんで」と自問自答しながらも、今の自分と向き合い、受け入れようとする気持ち。最期まで諦めない姿勢は、私たちの心に強く残っております。
「娘に迷惑をかけず、眠っているように朝になったら息をしていない、そんな最期でありたい」と言っていたAさまは、その言葉通り、7月24日午前7時25分、ご家族に見守られる中、永眠されました。
入退院を繰り返しながらも、「自宅に帰りたい」というAさまと、そんなAさまをご自宅で支えたいというご家族さまのお気持ちを最期まで支え続けられたことを、私たちは光栄に思います。
かわべクリニック 看護師 川邉 綾香
[ケアを振り返って]
白血球減少により肺炎を何度も繰り返し、そのたびに入院し治療を行ってきたAさま。退院後は、体力的に辛くてもできる限り外来に行って、定期的な輸血を受けたい、その想いで通院加療を行われました。そんな「生きたい」と強く思う気持ちが、Aさまの支えでもありました。
私たちは、そんなAさまをしっかりと支えるため、毎日のように訪問し、いつもと変わらない毎日を過ごせるように心を配りました。入院中も「必ず帰って来れますよ。ご家族も、私たちも待っていますよ」と声をかけました。
病気の進行が進み、Aさまはご自身の病状について、自問自答なさっていたようでした。私たちは彼の「なんで、治らないの?」という解決できない苦しみに対してどのように支えてよいのか、迷った時期もありました。
そしてAさまは、ご自身の苦しみと向き合い、私たちに「娘に迷惑をかけず、眠っているように朝になったら息をしていない、そんな最期でありたい」と伝えてくださいました。
その話をご家族にお伝えしたとき、みなさまのお気持ちが穏やかになったように感じました。そうしてご自宅には、Aさまと寄り添って過ごすゆったりとした時間が訪れ、ご家族さまは最期までAさまとご一緒に過ごすことができました。
[ひとり言]
Aさまとの関わりの中で今でもよく覚えているのは、点滴中に交わした会話です。TVで野球観戦をしながら「今年は阪神優勝やで~」とよく話していました。
残念ながら、X年には阪神は優勝できませんでしたが……今でもどこかで、野球観戦を楽しんでいらっしゃるのでしょうか。
※プライバシーに配慮し、お名前はアルファベットとさせていただきました。
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